校長の道徳授業

明治維新150年に寄せて

2018.03.15

本年は、明治維新150年の記念すべき年です。

江戸時代末期、わが国は、圧倒的な国力・軍事力・科学技術をもつ欧米諸国の脅威の前に立たされていました。その脅威から日本を守るために、古い幕藩体制をやめて新しい中央集権体制に移行して、欧米列強に対抗できる国家を築こうとしたのが明治維新でした。

ことしのNHK大河ドラマは西郷隆盛の人生をテーマにした「西郷(せご)どん」ですね。まさにその明治維新の主役中の主役です。西郷さんのような若い武士たちが危機感を共有し起ち上がったのです。

明治維新150年の年に当たって、西郷さんをはじめとする維新の志士たちの行動指針となった「日本の建国の精神」について、少し話をしたいと思います。

西暦720年に完成した日本書紀という我が国で最も古い歴史書の中に、神武(じんむ)天皇による日本の建国伝承が記されています。それは紀元前660年、今から2678年昔の2月11日とされています。

 神武天皇が天皇の位に就かれ日本の国を建国された時の宣言が「建国即位の詔(みことのり)」として日本書紀に書かれています。

驚くことに、そこに書かれている日本の建国の精神が現代の「民主主義」や人種平等に基づいた「基本的人権の尊重」の原型ともいえる内容なのです。

その現代語訳は次の通りです。

「神武天皇建国即位の詔」

「自分は、聖人の自覚をもって、国家としての制度を作っていくが、それは時代に応じて柔軟に対応するものです。もしも¹国民に利益があることならば、聖人の行う政治にとって何の妨げもありません。(国民一人ひとりの幸せのための政治が日本の政治の基本という意味)

山林を拓いて皇居を造り、謹んで天皇の位に就いて、²すべての元の元であり大(おお)御(み)宝(たから)である国民を治めていきます。天照大御神がニニギノミコトにこの国を授けられた天徳に応え、祖先が行ってこられた道義正しい心を弘めていきます。

    そしてそのあとに、³すべての国の人々が、一つ屋根の下で家族のように暮らせる世界にしようではありませんか。」(現代語訳;文責・野田将晴)

 

まず、下線¹と下線²に注目してください。下線¹は、「国民一人一人の幸せの為の政治」

が日本の政治の基本であると書かれています。下線²は、国民はすべての元の元であって

国の宝であると書かれていますね。これを「民本(みんぽん)主義」または「国民本位主義」と言い

ます。

これは現代の「人権思想の原型」と言って差し支えないと、私は思います。

諸外国の皇帝や権力者たちは、土地や国民を私有化して支配し、権勢をほしいままにするのが常でした。しかし、日本の歴代の天皇は、この神武(じんむ)精神に則って、そのような考えを排斥されてきました。

例えば、西暦645年の大化(たいか)の改新(かいしん)にその理念がよく表れています。

 第36代孝徳天皇は「改新の詔(みことのり)」を発して、蘇我氏をはじめとする豪族たちによって私有化されていた土地と人民を、「公地公民・班田収授法」などの大改革を断行して、国民を豪族の支配から解放し、土地を国民に開放されました。これはまさに神武天皇の建国の精神である民本主義(国民本位主義)を実行されたもので、現代の人権思想や民主主義にも通じる出来事で、それが7世紀の半ばに天皇によって行われたという事実は、世界史上の奇跡ですよ。

 

さて、私たちは、世界の成文化された「人権思想の源流」は、1215年のイギリスにおける「マグナ・カルタ」だと、教わってきました。そのマグナ・カルタはどういうものだったのでしょうか。簡単に復習してみましょう。

 勇志で採用している教科書、東京書籍の「政治・経済」には、

中世イギリスのマグナ・カルタは、身分制の存在を前提としながらも、「法の支配」を宣言したものである。

と、簡単に書かれています。

もっと分かりやすいのは「デジタル大辞泉」の解説です。

1215年、イングランド王ジョンが封建貴族たちに強制されて承認、調印した文書。前文と63条からなり、国王の徴税権の制限、法による支配などを明文化し、王権を制限、封建貴族の特権を再確認したもの権利請願権利章典とともに英国立憲制の発展に重要な役割を果たした。大憲章

 

要するに、マグナ・カルタは、国王の権力を制限して貴族たちの特権を再確認したものです。封建貴族は大化の改新の時の蘇我氏などの豪族のようなもので「土地や国民」を私有化していました。日本の「大化の改新」と比較してみると興味深い違いが分かります。

大化の改新は、マグナ・カルタに先立つこと570年です。しかも天皇自らが豪族の支配から国民を解放され、土地を国民に開放されました。マグナ・カルタは貴族の特権をさらに強化しただけで、国民の権利は全く無視ですよ。

 

ともあれ、このマグナ・カルタが原型となって、後に天賦(てんぷ)人権思想(すべて人間は生まれながら自由・平等で幸福を追求する権利を持つという思想;大辞林)が生まれ、これに基づいて権利請願(1628年)や権利章典(1688年)へとつながっていくのですが、この天賦人権思想にいう「自由や平等の権利」は、有色人種には適用されない極めて不平等な代物でした。白人国家による有色人種国家の植民地支配や奴隷制度が廃止され人種平等の時代になるまでには、まだ数百年の歳月が必要だったのです。

マグナ・カルタが世界の人権思想や民主主義が初めて成文化されたものであって後に欧米で発展する民主主義の原型となったとされてきましたが、果たして額面通りに受け止めていいのでしょうか。

日本では、日本書紀が完成した720年(古事記は712年)には、「民本主義」という人権思想の原型とでもいうべき「理念」が建国の精神として成文化されていたのです。マグナ・カルタより500年近く前のことです。

古事記や日本書紀の記述は科学的根拠がなく、神武天皇は実在ではないとする意見もありますが、科学的根拠を云々するよりももっと重要なことがあります。それは、これらの古典が、文字がなかった時代から人々の間で言い伝えられてきた伝承を、後世の国民が筆記したものであって、その後、長い歴史の中で日本民族の理想となり日本独自の伝統と文化を育んできたという歴史的事実の方ではないでしょうか。

いずれにしても、マグナ・カルタより格段に現代の「民主主義」に近い「民本主義」が、そのマグナ・カルタより500年も早く日本で成文化された思想として現存していたという事実は、驚くべきことです。

日本の民主主義は、第2次世界大戦で日本が敗戦国になってアメリカからもたらされたという説が、いかに間違いであるかわかったと思います。

 

明治維新150年となる本年、その明治維新の精神的原動力となったのは「建国の精神に回帰しよう」という志士たちに共有された思想でした。明治維新が革命でなく維新であるのはこの点にあるのです。革命は歴史の否定と断絶です。しかし維新は、歴史の原点への回帰とそこからの新たな展開です。日本の歴史に革命はありません。すべて「維新回天」の連続でした。

現代日本は内外共に未曽有の危機に直面しているといわれています。このような時「建国の精神」を今一度振り返って危機を乗り越える精神的な活力を取り戻さなければならないのではないかと思われてならないのです。

来月は、建国の精神のもう一つの重要な理念である「人種平等主義」について学びたいと思います。

 

 


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