校長の道徳授業

過去が歴史になる時

2018.02.15

先月号のテーマは、「今を生きる」でした。

「今」はこの瞬間に「過去」になり、「未来」はこの瞬間に「今」になるのです。だから私たちは、「今」を生きるしかできないのです。

過去は歴史になります。歴史は未来に向かって進んでいくための教訓となります。

ただし、過去が歴史になるためには、乗り越えなければならないハードルがあります。それは嫌な出来事をいつまでも引きずらないということです。過去を引きずったままの状態では、後ろ向きで人生を歩んでいることになって、過ぎ去った過去から抜け出ていないのです。

つまり、過去は既に無いのに、心はその嫌な思い出という過去に置いてけぼりになっています。心が置いてけぼりだから、その過去は歴史になれずにいます。

過去が歴史となって今を生きるための教訓となるのは、いやな過去から自分の心を解放し、未来の目標に向かって歩み始めたときです。

その時、過去は歴史になるのです。どんなに嫌な過去でも、歴史になったとき、それは生きていくための教訓に変化します。つまりマイナスからプラスの要素に変化したということです。

もうずいぶん前に卒業したY君のことを紹介しましょう。

彼は小学校のころから空手をやっていて、腕には自信があった。ところが中学校2年のころ、大勢に取り囲まれてケンカになり、ボコボコにやられたそうです。それから彼は負け犬の心境になってしまい、すっかり自信を無くし、自宅に引きこもってしまうようになったと、ある日私に打ち明けてくれました。

そして、彼は勇志に入学しスクーリングに参加して、その嫌な過去から吹っ切れることができました。そのきっかけになったのは、「長所を見て長所を伸ばす」という勇志流の生徒指導の基本でした。

Y君は、長所の塊のような生徒でした。しかし、「あの事件」以来、すっかり自信を無くして心療内科からもらう薬に頼らないと、不安で仕方がなかったそうです。不安だから誰にも心を開けないし、自分から話しかけることもありませんでした。そして時々、衝動にかられて自傷行為を繰り返していました。

しかし、当時彼の担任で自らも空手を修行中だった三浦先生が、Y君が空手の経験者であることを知って、自宅からサンドバッグを持ってきて一緒に突き蹴りの稽古をやろうと勧めたのです。

これがよかった。彼の嫌な過去を知っている者は誰もいません。そんなみんなの前にいるのは、一心不乱に鋭い技をサンドバッグに向かって繰り出す「たくましくかっこいい」Y君の姿でした。

これがきっかけになりました。みるみる彼は本来の快活さを取り戻していったのです。

スクーリングが終わった日、私は彼らがお世話になった民宿にごあいさつに回りました。その中の一軒Y君のグループが宿泊した民宿で、宿のご主人に誘われて茶の間でお茶を御馳走になりながら、生徒たちの宿での生活ぶりをお聞きしていましたが、ある夜、Y君がその茶の間に来て、雑談している中で、

「おじさん、おばさん、僕たちはみんな年は若いけど、それぞれに地獄を見てきたんだよ」と言ったことを聞かされました。

 その時、彼は中学校卒業と同時に入学した1年生の夏でしたから、まだ幼さの残る年ごろでした。それを聞いた私は、こんなまだいたいけない若い子が「地獄を見てきた」と、こともなげに言うことに哀れさを感じてつい落涙してしまったことを覚えています。

 そのことを職員会議で報告して以来、我々勇志の教職員の合言葉は

「一日でも早く、一人でも多くの若者を、地獄から救い出そう!!」

となりました。

 2年生になったY君が次の年2度目のスクーリングに参加した時は、もう1年前の薬に頼り常に伏し目で寡黙、おどおどと隙あらば自傷行為を繰り返すY君の姿はどこにもありませんでした。嫌な過去を乗り越えたのです。

 ある日の休み時間に、Y君と、学校の前の海辺で魚釣りをしながら話す機会がありました。その時、初めてあの嫌な事件のことを私に話してくれたのでした。そして一年前民宿のご主人に「地獄を見てきた」と話したときには、既にその過去から吹っ切れていたことも話してくれました。

 Y君は、あの嫌な過去の経験を乗り越え、それが既に教訓に変化していたのです。その時、彼は大きく成長していました。

 このケースはいくつかのことを示唆しています。まず1つは、スクーリングに参加している生徒たちはもとより、我々教職員も、彼の「負け犬になった嫌な自分」という過去の出来事を知らなかったこと、2つに、もともと彼が得意とする空手で自分の長所をアピールできたこと、3つには、その空手が彼にとってコンプレックスのもとになっていたけれども、その空手で自信を取り戻したことで一気に立ち直ることができたこと等、いくつかの条件が重なって劇的な立ち直りができたということです。

 誰でも「嫌な自分」を意識されていることほど嫌なことはないのです。欠点を指摘して矯正する指導が百害あって一利なしと、私が主張するのはこういうことなのです。

 あれからもう10年の月日が流れました。この間、以前のY君のように嫌な過去から乗り越えられずに地獄の苦しみの中でもがき苦しんでいる多くの生徒たちを見てきました。

つい先日終了したスクーリングでも、生徒たちの道徳の感想文から、過去を乗り越えられずに苦しみもがいているさまが読み取れました。

 そんな感想文の一つを紹介します。2年生の女子です。

 「自分は何度も失敗を繰り返して自己嫌悪の塊になっていました。そして友人同士のトラブル(いじめの現場)を止められなかったことが何度かあって、そんな自分が一層憎くなっていました。

しかし道徳授業を受けて『自分は人を幸せにするために生まれてきた』こと、そして

『過去を乗り越えた時、その過去は歴史になる』ことを知って、苦しく、悲しく、劣等感を味わってきた自分だからこそ、同じ気持ちで苦しんでいる人を支え、救ってあげることができるのではないかと思いました。」

と、正直な自分の気持ちを書いてくれていました。

 一方、国立青少年教育振興機構が27年度の日本、米国、中国、韓国の高校生の意識調査の結果で

「弱い者いじめやケンカをやめさせたり注意したことがあるか」という質問に対して、

米国63.2%、中国54.2%、韓国50.5%がしたことがあると答えていますが、我が日本の高校生は、わずかに27.2%でしかなかったのです。

つまり、日本の高校生の多くが、いじめなどの現場に遭遇しても止めることすらできずにいるという実態が浮き彫りになってきたのです。いじめの被害者がたとえ親友であっても、止めに入れば次は自分がいじめのターゲットになるかもしれないと恐れて、見て見ぬふりをするかその場から逃げてしまっているのです。場合によってはいじめに加わる場合すらある。

いや、それは生徒たちだけではなく一部の教師の悲しい現実でもある。今まで何人もの生徒から、自分がいじめられている時、先生が見て見ぬふりをしたこと、又はその場から逃げるように立ち去ったことが原因で学校不信になって学校へ行けなくなったと話していました。

いじめは、いじめられた者も、そしてそのいじめを止める勇気がなかった者も、同じように心が傷つき、苦しんでいるのです。

現代に生きる我々日本人は、もう一度助けを求めている人がいたら命がけでも助ける勇気と、困っている人がいたら自分のことは後にしてでも手を差し伸べる人情を取り戻さなければなりません。

ほんの少し前まで、日本は「サムライ」の国だったのですから…。

 

 

  

 

 

 

 


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