校長の道徳授業

歴史を訪ねて4 昭和16年マレー半島

2011.08.12

今月の勇志号の旅は、昭和16年12月8日のマレー半島の東海岸コタバルです。この日は日本がアメリカとイギリスに対して宣戦布告を発して大東亜戦争が始まった日です。日本はこの戦争を大東亜戦争と言いました。東アジア地域の自立と共栄を求めた戦いという意味です。一方アメリカはこの戦争を太平洋戦争と言いました。太平洋地域の安定を求める戦いという意味です。日本が戦った戦争は、太平洋を挟んでのアメリカとの戦争だけではありませんでしたから、太平洋戦争というより大東亜戦争というのが正しいのです。

この日、日本海軍は真珠湾に集結していたアメリカ艦隊を攻撃し、アメリカと戦争状態に入りました。一方、日本陸軍は、ここマレー半島の東海岸にあるコタバルとシンゴラ、タベー、バタニへの上陸作戦を敢行し、マレーシアを植民地支配しているイギリスとの戦争が始まりました。戦場はマレーシアとなりましたが、あくまでも戦争の相手はマレーシアを長い間植民地にして人々を奴隷のように支配してきたイギリス軍であって、マレーシアの人々と戦ったのではありません。イギリスの支配からマレーシアを解放する為に、マレーの地に駐留しているイギリス軍を追い出す戦いだったのです。通信制

「勇志号」は、昭和16年12月8日午前2時のコタバルに到着しました。日本陸軍の上陸用舟艇が続々と、ジャングルのシルエットが月明かりに浮かぶ海岸目指して殺到しています。いよいよ上陸開始です。この日は潮流が強くイギリス軍の陣地のほうに流され、イギリス軍守備隊の一斉放火にさらされています。しかし空からは陸軍航空隊所属の加藤隼戦闘隊が上陸部隊を援護しています。苦戦しましたがやっと上陸に成功したようです。シンゴラやタベー、バタニに上陸した部隊と合流した日本軍は瞬く間にコタバルからイギリス軍を追い払い周辺全域の占領に成功しました。これから山下奉文将軍を大将とする日本軍のマレー半島の南端に浮かぶシンガポール目指しての破竹の進撃が始まるのです。シンガポールこそイギリスによるアジア支配の最大拠点だったのです。

この陸軍の作戦と呼応して、日本海軍はイギリスの東洋艦隊と一戦交えるべく南下していました。この東洋艦隊にはイギリスのアジア支配の守護神といわれる世界に誇る不沈戦艦プリンス・オブ・ウエールズとレパルスの2艦がいました。

12月10日、山下司令官の元に一通の電報が届きました。この日、日本海軍はこの2艦を撃沈したという知らせです。その知らせはすぐさま全軍の兵士に知らされました。勝利を祝う万歳の声がジャングルにこだましたのは言うまでもありません。

このニュースは世界中を驚愕させました。そして世界史に大きな変化をもたらすこととなった大東亜戦争の緒戦における大進撃の第1幕となったのです。

さて、この朗報に一気に士気が上がった我が日本軍は、奇想天外な作戦、自転車による進撃で一気に南下しようとしていました。有名な銀輪部隊の活躍です。ジャングルとやし林の間を縫うようにまさに破竹の勢いで南下し、55日間でマレー半島の南端ジョホール・バルーを陥落させ、上陸から70日後の昭和17年2月15日、シンガポールにおいてイギリス軍は降伏しました。


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