校長の道徳授業

若者が拓(ひら)く「新しい平和主義の時代」その2

2018.08.15

1、「積極的平和主義」こそが、憲法の平和主義に、より忠実な理念だ

第1章で、憲法前文の平和主義に関する記述3つの文章のうち最初の「平和主義Ⅰ」である「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」について、すでにこの規定は、憲法施行後すぐの東西冷戦の始まりやその後の中国大陸での内戦、朝鮮戦争の勃発などの世界情勢の変化で、我が国の周辺が平和愛好国ばかりではないという現実に直面し、平和愛好国の「公正と信義」に信頼して「安全と生存」を保持することは実質的に不可能になったということ、そして、この時点で、憲法前文の平和主義に関するこの規定は空文化したということを学びました。

そして、空文化してすでに70年になるのにも関わらず、日本の平和主義と言えばこの規定が根拠とされてきたのもまた、紛(まぎ)れもない事実です。

しかし、実は、憲法前文の平和主義は決してこの規定だけではなかったのです。違う考えの平和主義が書いてあるのです。なぜかその重大な事実は無視されてきたのです。

8月号と9月号では、その憲法前文に書いてある「違う考えの平和主義」について学びます。それは「空想的平和主義」とは対極にある「積極的平和主義」と称される考え方です。そしてそれは安倍晋三内閣によって我が国外交の基本方針として確立されました。日本の外交と安全保障政策は今、「戦後」を乗り越えて新しい時代へ船出したのです。

その「積極的平和主義」を「新しい平和主義」と名付けました。最初からあったのに、なぜか無視されてきた理念です。

 

2、前文「平和主義Ⅱ」は、「積極的平和主義」の規定

今月は、三つの平和主義のうち2番目に書いてある「理念」について学びましょう。

その前文の規定をもう一度おさらいします。

 

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

 

 用語の解説をします。

「専制」=政治を独断で思うがままに処理すること

「隷従」=手下となって従うこと。他の思うがままに支配されつき従うこと。

「圧迫」=力で相手を押さえつけること

「偏狭」=考えや度量が狭くて、他を広く受け入れようとしないこと

<以上「学研国語大辞典」学習研究社>

 

つまり、この規定は、選挙で選ばれない非民主的な「一党独裁政権や軍事政権」などが、国民の自由を認めず、権力で国民の反発や批判を抑え込んで、思想や表現の自由、信仰の自由などを禁止している国家のことを意味しています。

旧ソ連や、現代における中華人民共和国や北朝鮮などがこれに当たることは誰にでもすぐわかるはずです。

したがってこれらの国々から「専制と隷従、圧迫と偏狭」の政治体制を「除去」するために国際社会と一緒になって貢献するという、私たち日本国民の決意がここに書かれているのです。

例えば、この前文の精神を判断基準として、平成30年(2018年)6月12日、シンガポールで行われた米朝首脳会談での、アメリカの「北朝鮮の体制保証」を核・ミサイル放棄の条件としたことに当てはめてみるとどうなるのでしょうか。

「体制保証」は、北朝鮮の「専制と隷従、圧迫と偏狭」の政治体制を固定化することを意味しますから、日本の憲法の平和主義の精神には反するということになってしまいます。

北朝鮮の体制とは、金一族による専制独裁体制で、人民は金正恩に隷従させられ、偏狭な独裁体制によって生命や自由や人権を圧迫された体制であることは世界中が知っている事実です。

といって、現実の国際政治が日本の憲法の規定通りに動くはずがないこともまた、国際社会の常識です。

 

3、占領軍への「忖度(そんたく)」だった今までの「平和主義」

今までのこの前文の「平和主義Ⅱ」に対する我が国の憲法学会の通説は、下記の佐藤功氏の解説に表れています。

「現在、世界各国が平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を除去する、自由で民主的な国際社会の実現に努力しつつあるとし、その国際社会において名誉ある地位を占めたいとの意思を示している。すなわちそれは世界各国とともに、または世界各国に先駆けて平和主義に徹底することをもって『名誉ある地位』と見るのである。

 したがってこの『名誉ある地位』という文字のあることを理由として、この憲法の定める平和主義は、平和を破壊し侵略を企てる恐れのある国家に対しては敢然として武器をとることを辞さないという積極的平和主義であるとし、この立場から、自衛のための戦争、自衛のための軍備を是認しようとするがごとき解釈は認められない。」

(衆議院憲法調査会検討資料より;佐藤功元上智大名誉教授の前文解説より)

 

わかりやすく言うと、要するに、日本国内の「専制と隷従、圧迫と偏狭」を除去して、「平和を破壊し侵略を企てる恐れのある国家」(例えば北朝鮮や中国)から、日本を守り国民の命を守るためであっても抵抗しないことが憲法の「平和主義」だということです。どういう読み方をしたら、あの前文の一節が佐藤功氏のような解釈になるのでしょうか。

こんな滅茶苦茶で無責任な解釈が、今までの「平和主義」だったのです。これを空想的平和主義ということは先月号で述べました。

これは、終戦直後に今の憲法をつくったアメリカのマッカーサー占領軍最高司令官の意向を「忖度(そんたく)」したこじつけ解釈でしかありません。

「忖度」というのは、「他人の心の中をおしはかること」(学研「国語大辞典」)です。

つまり、日本国憲法をつくって日本に押し付けたアメリカの占領軍は、こういう考えでこの前文の一節を書いたのではないかと推し量って解釈したものが、憲法学の通説になって、いまだに通用しているということです。

 

4、「新しい平和主義」

しかし、「忖度」せずに素直に読むと、「世界から『専制と隷従、圧迫と偏狭』の非民主的で平和を破壊し侵略を企てる国家を永遠に地上から除去するために頑張る」という日本国民の決意表明になっています。

それは少し過激すぎではないかと思う人もいるかもしれません。だったら改正して、もっと穏当な表現にすればいい。

改正しない以上は、日本国憲法前文の「平和主義」というのは、こういう考え方、つまり「積極的に世界の平和の維持に貢献していく」という「積極的平和主義」でもあるのです。

日本国憲法の基本的な考え方が書いてある「前文」の「平和主義」に関する記述が3つあって、その中の最初の一部だけが今まで「平和主義」だとされてきたのですが、そうではありませんよ、憲法の平和主義の考え方はまだあと二つあるのですよ、ということなのです。その2つのうちの一つを今日は学んだわけです。

この今月学んだ「平和主義Ⅱ」と、来月学ぶ予定の「平和主義Ⅲ」は、「戦後後遺症」を乗り越え、君たち若者が拓いていく「新しい平和主義の時代」の指標でもあるのです。


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