校長の道徳授業

国を愛する心を育むために(14)

2017.05.15

日本には世界で最も古い輸入でない民主主義があった(続々編)

「戦後」が終わり新日本建設が始まる

4月29日は昭和天皇のお誕生日でした。今は昭和の日になっています。

昭和天皇は、大東亜戦争の苦難を乗り越え、敗戦に打ちひしがれ、焦土と化した国土を前にただ茫然と佇むしかなかった国民を、全国くまなく巡行され、励まし勇気づけられました。このことはスクーリングの際に総合学習で詳しく勉強しますが、今月は、昭和21年1月1日の昭和天皇による「新日本建設の詔(みことのり)(天皇のお言葉)」について学びたいと思います。

 終戦からまだ4か月半しかたっていない昭和21年の元旦、「新日本建設の詔」が渙発(かんぱつ)(天皇のお言葉を内外に発表すること)されました。のちにこれを「天皇の人間宣言」と称し、それまで現人神(あらひとがみ)とされてきた天皇が自ら人間であることを宣言された文書とされてきましたが、この詔の内容は、昭和天皇が自ら先頭に立って日本を再興するご決意と、国民を励まし勇気づけられる内容が主でした。

 では早速、新日本建設の詔の冒頭部分を紹介しましょう。

新日本建設の詔

ここに新年を迎える。ふりかえれば、明治天皇は明治のはじめにあたって、国の基本方針として「五(ご)箇条(かじょう)の御誓文(ごせいもん)」を、お授けくださった。それは、

一、広く会議を興し、万機(ばんき)公論(こうろん)に決すべし。(広く会議を開き、あらゆることについて公の議論の場で決定すべし。)

一、上下(しょうか)心を一にして、盛んに経綸(けいりん)を行うべし。(上の者も下の者も互いに一致協力して、国家秩序を盛んにすべし。)

一、官武一途庶民に至るまで、各々その志を遂げ人心をして倦(う)まざらしめん事を要す。(公務員や軍人一般の国民もそれぞれ自分の職責を果たし、人々に希望を失わせないことが大事である。)

一、旧来の陋習(ろうしゅう)を破り、天地の公道に基づくべし。(過去のあやまった風習や弊害をやめ、なにごとも天地の道理にのっとるべし。)

一、知識を世界に求め、大いに皇基(こうき)を振起(しんき)すべし(新しい智恵や知識を世界じゅうに求め、大いに天皇国家をふるいたたせるべし。)

明治天皇の叡(えい)旨(し)(天皇のお考え)は、この五箇条の御誓文にすべて集約されており、この上、付け加えるべきものはなにもない。余はここに、改めて五箇条の御誓文をもって、国の運気を開きたい。すべてはこの御誓文の御趣旨にのっとって、旧来の弊害を去り、国民の意欲を高め、官民協力して平和主義に徹し、教養も豊かな文化を築き、国民生活の向上をはかり新しい日本を建設すべし。

(以下、略)

明治日本の新しい国づくりの基本として、明治天皇がお定めになり神様に誓われた「五箇条の御誓文」を基本精神として、大東亜戦争敗戦後の日本の再建をしようとの、昭和天皇の強いご決意が文章から伝わってきますね。

昭和52年(1977年)8月23日に、天皇陛下の初めての記者会見が開かれ、この記者会見から定例化されていくようになりましたが、この時、記者の「この詔書の冒頭に明治天皇の五箇条の御誓文というのがございますけれども、これはやはり何か陛下のご希望があったと聞いておりますがが」という質問に、次のようにお答えになりました。

「それ(五箇条の誓文を引用する事)が実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。当時はアメリカその他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す必要があった。日本の国民が誇りを忘れては非常に具合が悪いと思って、誇りを忘れさせないためにあの宣言を考えたのです。」

傍線を引いた箇所をもぅ一度反復してみましょう。

「民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではない」

 しかし、詔書が発表された当時、この昭和天皇のお心が国民に伝わることはなく、アメリカによる情報操作の結果、戦前までの日本は軍国主義の暗黒時代で、戦後、アメリカによってはじめて「民主主義」が日本に持ち込まれて、近代国家としてのスタートとなった」と、思いこまされてきました。

 そしてこの記者会見の内容を新聞で見た国民は、その昭和天皇のお心を初めて知ったのですが、「輸入民主主義こそ真の民主主義」という価値観が変わることはありませんでした。

 新日本建設の詔の文中「官民協力して平和主義に徹し」とありますが、その後制定されることとなった日本国憲法の「平和主義」が「国防を否定した平和主義」だという解釈が一部でまかり通ってきましたが、少なくとも昭和天皇の仰せになった「平和主義」はそれとは違うことを指摘しておきます。それは次のお言葉で明らかです。

「防衛問題は難しいだろうが、国の守りは大事なので旧軍の悪い所はまねせず、良い所は取り入れて、しっかりやってほしい。」(昭和48年5月、増原恵吉防衛庁長官に対してのお言葉)

 さて、2015年は戦後70年でした。2017年の本年は、戦後72年になります。東日本大震災の時、被災者の方々の整然とした尊いふるまいを見て世界中が感動した中で、アメリカのジョージタウン大学のケビン教授が

「日本の文化や伝統も米軍の占領政策などによってかなり変えられたのではないかと思いがちだったが、文化の核の部分は決して変わらないのだと、今回思わされた」

と、産経新聞のインタビューに答えていますが、文化の核の部分つまり「日本の和の心」は確かに忘れさせられてきていましたが、私たち日本人のDNAにしっかりと組み込まれていたのです。70年そこらで消えるような安っぽいものではなかったということです。

 その被災地でよみがえった「和の心」こそは、実は昭和天皇が「日本の民主主義は決して輸入のものではない」と仰せになった「日本古来の民主主義」の原型だったのです。

昭和天皇の終戦直後の私たち国民への「日本再建」へのメッセージは、幾たびかの大震災などを経て、いま、よみがえり戦後72年目にしてようやく「戦後」から脱皮して、「新日本の建設」にむけて、新しい一歩を踏み出そうとしているのです。戦後、日本は経済的には隆々と見事に復興しました。しかし日本人の誇りをなくしてきました。今からは、日本の心、日本人の誇りの復興が求められているのです。

最後に、戦後民主主義と日本古来の民主主義の違いを分類しました。

戦後民主主義(アメリカ型)日本古来の「和の心」民主主義
1、アメリカが戦後日本に持ち込んだ(輸入)1、縄文時代から育んできた日本の文化
2、自分を最優先する精神(個人主義)2、自分を後回しにする精神(利他主義)
3、共同体を否定(共同体から個人を解放)3、共同体を肯定(共同体に貢献する生き方)
4、国民が専制君主を倒して奪い取った権利4、歴代天皇が育んでこられた国家の基本

最後に、新日本建設の詔の最後の御文章を紹介して終わりとします。

「朕(ちん)は朕の信頼する国民が、朕の志とその心を一にして、自ら奮(ふる)い、自ら励まし、以てこの大業(たいぎょう)を成就(じょうじゅ)せんことを希(こいねが)う。」(注;朕=私、大業=戦後日本の復興)

 


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