日本史偉人伝

藤田 東湖

2018.12.29

今回は、江戸時代後期の水戸藩で、前々回取り上げた会沢(あいざわ)正志(せいし)斎(さい)とともに尊王攘夷論を唱え、藩校「弘道館(こうどうかん)」の設立に尽力した、藤田東湖を紹介します。

 

藤田東湖は、文化3(1806)年3月16日、藤田幽谷(ゆうこく)と梅子の次男として、現在の水戸市梅香の屋敷に生まれました。幽谷は、『大日本史』編纂のための史館である彰考館(しょうこうかん)に入り、総裁にまでなった人物でした。東湖は次男でしたが、長男の熊太郎が早くに亡くなったため、藤田家の後継ぎとして育てられました。幽谷は、お酒を飲むと、宋時代の文天(ぶんてん)祥(しょう)という人物の「正気歌(せいきのうた)」を朗々と吟唱し、一句一節を丁寧に講釈し、正気に満ちた日本の国の尊さ、忠孝の道の重要さについて情熱を込めて説き聞かせ、東湖を励ましました。

東湖が19歳になった文政7(1824)年5月、異国船が常陸大津浜(現在の茨城県北茨城市大津町)に姿を見せ、小舟2艘に分乗した12人の船員が、鉄砲や銛などを携えて浜辺に上陸する事件が起こりました。表向きとしては水や食料を求めてのものでしたが、筆談役を担った会沢正志斎は、日本も西欧諸国から狙われていると感じました。幽谷の門人であった正志斎は、内容をその都度幽谷に伝えていました。状況を聞いた幽谷は、東湖に、「船員が釈放されるようなことがあれば、彼らを斬り、自首して裁きを受けよ。わが家はそれで断絶してしまうが、このままでは堂々たる日本国に一人も真の男児がいないことになる」と伝え、水杯を交わして現地に向かわせようとしますが、直前に船員が釈放されたとの知らせが入りました。東湖にとって、初めて死を覚悟したできごとでした。

文政12(1829)年10月、第9代の水戸藩主に徳川斉(なり)昭(あき)が就きました。斉昭は就任後、新進気鋭の藩士を登用して人事を一新し、藩政改革に着手します。そのメンバーの中には東湖も含まれていました。改革の中で重要視されたのが、学校の創設でした。欧米の勢力が我が国に迫りつつある中で、国家の独立を維持するために、優れた人材の育成が求められていました。その中で、水戸が先駆けとなってほかの学校の模範になるような教育目標・制度の確立、根本的な教育改革を目指しました。その中心となったのが、東湖でした。保守派の重臣らの中には、財政困窮を理由として反対する者も少なくありませんでした。そんな中、幕府から毎年補助金として5000両を与えるという知らせが入り、実現に向けて大きく踏み出したと思われた矢先、天保の大飢饉が起こります。建設計画も一時中断する事態に陥りました。それでも、天保8(1837)年6月には、斉昭から東湖に対し、「学校御碑文」起草の命令が下されます。東湖は非常の決意をもって草案を起草し、天保9(1838)年に徳川斉昭の名で正式に発表されました。これが、『弘道館記』と呼ばれるものです。「弘道(こうどう)とは何ぞ。人能(よ)く道を弘(ひろ)むるなり(弘道とはどんな意味であるか。弘道とは人が道を弘めるという意味である)」に始まり、「忠孝二なく、文武岐(わか)れず、学問事業其の效(こう)を殊(こと)にせず(忠孝の大義を重んじ、かつ忠と孝とは一本で二物ではないことを理解して実行し、文武は本来一つのものであるから、両道分れることなく修練し、また学問と事業との一致を認め、理論と実際とが離れないようにしなければならない)」という教育目標を記し、八卦堂(はっけどう)に納められました。

嘉永6(1853)年、ペリーらが浦賀に上陸したことに伴い、7月、東湖に斉昭から呼び出しがあり、「海岸防禦(ぼうぎょ)御用掛」に任ぜられました。斉昭の補佐役として動く中、橋本左内、西郷隆盛らとも交流を持ちました。西郷隆盛は、東湖を、「天下真に畏(おそ)る可(べ)きものなし、唯畏(おそ)る可(べ)き者は、東湖一人のみ」「われ、先輩にては、藤田先生を推す」と、東湖を心から尊敬し、師と仰いでいました。

 

安政2(1855)年10月2日夜、マグニチュード6.9と推定される「安政の大地震」に襲われました。藤田家には客があり、やがて話も済んで客を玄関に送り、東湖が部屋にもどったとたん、家が大きく揺れだしました。東湖はすぐに年老いた母・梅子を助け、外に出たものの、火の始末を気にして梅子はまた中に入ろうとしました。それを見た東湖も一緒に行きましたが、その時、大きな梁(はり)が天井から崩れ落ちてきました。とっさに東湖は自分の肩と背でそれを受け止め、片手を畳について体を支え、その下に梅子をかばい、もう一方の手で梅子を庭の方に投げ出しました。その時、再び大きな揺れが襲い、支えきれなかった東湖は梁の下敷きとなってしまいました。「三たび死を決した」と言われた藤田東湖は、50年の生涯の最期を、母に対する孝行をもって締めくくったのでした。


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