校長の道徳授業

「新入生の皆さんへ」

2019.04.15

新入生の皆さん、入学おめでとうございます。

今年度は、勇志国際高校が開校して早いもので15年目となります。この間の卒業生は4518名となりました。

その多くが不登校や引きこもりなど学校不信や人間不信、ひいては自己否定に陥って地獄の苦しみの中から救いを求めて、勇志に入学してきた若者たちでした。その彼らのほとんどが、勇志在学中にその地獄の苦しみから抜け出し、立ち直って卒業し、それぞれに与えられた立場で活躍しています。

彼らは、在学中に「勇志は他の学校とは違う」と異口同音に言っていました。どこが違うのか尋ねると、「勇志の先生たちは自分たちを認めてくれるところが違う」という言葉が必ず返ってきていました。

「自分たちを認めてくれる」という意味は、自分たちの「長所」を認めてくれるということです。欠点を指摘されると、誰だってその人は「自分のことを認めていない」と感じて、心を閉ざすのです。

勇志は、開校以来「長所を認めて長所を伸ばす」ことを生徒指導の基本としてきました。そのことだったんですね。

もう1つあります。それは、若者が誰でも潜在意識の中に持っている「生きていく自信と日本人の誇り」を取り戻したいという願いをかなえることが、在学中にできたということです。

若いということは、今からの長い人生が待っているということです。反面、人生経験は少ない。だから、どういう生き方をしていったらいいのか見当がつきません。

つまり、今からの長い人生を生きていくための自信が欲しいと、潜在意識で痛切に願っています。しかし、学校でそんなことが学べるとは期待していません。

同じように「日本人の誇り」もそうです。日本人として生まれ、日本人として生きていく。ですから、日本人としての誇りを、本能的に持ちたいと思っています。しかし、戦後の教育ではむしろその「誇り」が持てないような教育が基本でした。ですから、これもまた学校には期待していません。

期待していないから意識もしていません。従って、それらの欲求は、潜在意識の奥深く閉じ込められているのです。

ところが、勇志の教育は「生きていく勇気と自信」を道徳授業で与え、日本人の誇りについて、歴史授業をはじめすべての教科で学ぶようになっています。つまり、期待をはるかに超える教育が勇志にあるということです。

期待を超えるものと出会ったとき、生徒は感動します。そして気が付くのです。「ああ、自分が本当に求めていた教育はこれだったのだ」ということに…。

新入生の皆さん、どうぞ期待してください。勇志の感動教育を…。

 

今月は、私が日本人の誇りに目覚めた若いころの体験談を、皆さんに披露したいと思います。

私は、24歳の時に青年海外協力隊に参加して、26歳になるまでの2年間、マレーシアに派遣されて柔道と逮捕術を指導してきた経験があります。その時の話です。

私は昭和20年生まれで、ご多分に漏れず戦後教育で育ちました。ですから、日本はマレーシアをはじめアジアの国々に、大東亜戦争(太平洋戦争)でずいぶんひどいことをしたと思い込んでいました。しかし、現地では全く様子が違うのです。みんな、日本の大東亜戦争のおかげで植民地から独立できたといって感謝していたのです。

逮捕術の指導をしていた警察官の中に、ラティフというインド系マレー人がいました。彼は、大の親日家でした。そして、地元警察でも将来を嘱望される優秀な中堅幹部でした。

ある日、彼と2人でお酒を酌み交わしながら長時間話しこんだことがありました。彼は、300年以上にわたってマレーシアはじめ東南アジアの国々の、ヨーロッパやアメリカの植民地として支配されてきた悲惨な歴史を振り返り、日本が孤軍奮闘し、植民地支配していた欧米列強と戦ってくれたから、今のマレーシアやアジアの国々が独立できたという話をしてくれたのです。つまり、日本が、アジアの国々に代わって、独立戦争を戦ってくれたというのです。そして私の手を握って、涙ながらに「日本人よ、ありがとう」と繰り返すのでした。

歴史の真実を知ったその瞬間、私は戦後教育の呪縛から目が覚め、日本人の誇りと日本に生まれた喜びを強烈に感じたのです。そして、祖国日本に限りない愛国の情を持つことができたのでした。

同時に、日本人ありがとうと感謝してくれる現地の人々に、同じアジア民族としての親近感とともに、アジアの国々のこれからの国づくりへさらなる協力をすることが、大東亜戦争において戦陣に倒れられた多くのご英霊の尊 い志を引き継ぐことだとわかったのでした。50年経った今でもその時のことをはっきり覚えています。私の人生の最大の転機でした。

このラティフさんには、後日談があります。

2年の任期を全うして帰国した私は、熊本県警に復職し、その後思うところあって30歳の時に辞職しました。そして思いもかけず、33歳の時に熊本の市会議員に多くの皆さんにご推挙をいただいて当選し、1期4年務めて今度は県会議員になって、公務出張でシンガポールに行く機会を得ました。私が協力隊時代の赴任地だったジョホール・バルーの町は、シンガポールの対岸です。シンガポールでの公務を終えて、懐かしのジョホール・バルーを訪ねたことは言うまでもありません。

その時、かつての柔道や逮捕術を指導した弟子たちが集まって歓迎会を開いてくれました。ふと、ラティフの姿が見えないことに気がついた私は、そのことを彼らに尋ねました。すると、ラティフは5年前に亡くなったと言うのです。晩年の彼は朝から酔っぱらって、

「日本はどうなったんだ。アジアを解放した日本はどこへ行ったんだ。これから日本はどうなるのだ」

と、ぶつぶつ独り言をずっと言っていた、そしてとうとう体を壊して亡くなったと言うのです。そして、次のような話をしてくれました。

「ラティフの友人たちは、皆、言っているよ。ラティフは日本に恋い焦がれて、アジア解放の栄光ある歴史を忘れさせられた日本の今を憂い、日本の未来を心配して、狂い死んだと…。」

私はその時、恥も外聞もなく号泣しました。一緒にいた現地の仲間たちも一緒に泣いてくれました。誰のために…。「日本のために」です。

私は、この時心に改めて誓いました。この祖国日本の輝かしい歴史の真実とアジアの人々のまごころを、日本の若者に伝え続けるということを…。

協力隊でのあの歴史体験から50年後の今、こうして、その念願がかなって、勇志に入学してくれた新入生の皆さんに、その歴史体験を伝えています。ラティフさんも天国で喜んでくれていると思います。

誇りさえ取り戻せば、日本人のDNAがよみがえって、元気を取り戻し、夢と希望にあふれた高校生活を送ることができると固く信じています。

改めて、皆さんとご縁を頂いたことに心からの感謝を申し上げます。共に、有意義で感動あふれる高校生時代を築いていきましょう。

在校生の皆さん、お互いに切磋琢磨して、有意義な高校生活となるよう新しく勇志の仲間となった後輩となった新入生の皆さんを指導してくださいね。


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