校長の道徳授業

有権者となる皆さんへ1

2016.01.15

皆さんあけましておめでとうございます。本年が皆さんたちにとって素晴らしい年になることを祈っています。

さて、国民投票法に続き、昨年の国会で、一般の選挙の投票年齢も18歳以上に引き下げられました。今年のこのコーナーは「有権者となる皆さんへ」というタイトルで主権者となり有権者となる皆さんの心構えを学習するシリーズとすることにします。新年号のテーマは、「平和」にしました。昨年「平和安全法制」が成立しましたね。この論議をめぐって国民の間でも「平和」について活発な論議が交わされましたし、スクーリングの特別活動での憲法授業でもみんなで考えてきたテーマでもあります。

我が国は、戦後の70年間平和な時代が続いてきて本当によかったと思います。しかし、最近、どうも今までのようにはいかないのではないかと平和に対する不安が国民の間にも広がってきていますね。

特別活動と重複しますが、改めてこの誌上で平和について考えてみたいと思います。

 

2、平和とは戦争がなく世が安穏であること(広辞苑)

平和とは辞書には「戦争がなく世が安穏であること」と書いてあります。

 つまり、戦争がない状態であることは改めて言うまでもありませんね。では戦争さえなければ平和と言えるのでしょうか。

例えば東日本大震災に見舞われた被災地は、戦争ではなかったけれども平和だったとはいえません。

 中国の支配下にある新疆ウイグル自治区やチベットの人々に平和があるのでしょうか。

世界ウイグル会議議長のラビア・カーディルさんが最近来日して、月刊誌「正論」12月号で書いていますが、「中国の容赦なく続く不当かつ過酷な人権侵害でウイグル民族は存亡の危機にある」というのです。中国の人民解放軍による大規模な虐殺事件が相次ぎ、中国語が強制されてウイグルの文化が潰され、自治区内のタクラマカン砂漠では46回に及ぶ核実験で多くのウイグル人がなくなり、中国の自治区に組み入れられてからの66年間で推計百数十万人を超える人々が殺害されたと証言しています。

 チベットでも同様です。独立運動などに対して徹底した虐殺で弾圧しているのです。

戦争がない状態だけで平和だとは言えないのです。「世が安穏である」ことも平和の大事な要素だということを忘れてはいけません。

 

3、平和を守るための戦争の抑止

 では平和を守るということを考えてみましょう。

 世界中のすべての国が戦争をしない国だったら何もこんなことを考える必要はありません。しかし現実は違います。アメリカのランド研究所の研究によると、紀元前3600年ごろから今日まで、平和だったのはわずか292年しかなくこの間に1万4531回の戦争があり、30億4000万人が殺害されたというのです。

別の統計ですが、第2次世界大戦後だけでも166回の戦争や紛争があっていますし、今もいわゆる「イスラム国」による大規模な無差別テロが頻発し、フランスの大統領はこれは最早戦争だと言っています。

日本から戦争を仕掛けることは金輪際ありませんが、戦争を仕掛けられることはありうるという現実を忘れてはならないのです。70年間の平和で、多くの日本人がこのことを忘れてしまっているとしかいいようがない。これを「平和ボケ」というのです。

平和を守るためにはまず戦争がないようにしなければなりません。戦争がないようにするためにはどうしたらよいと思いますか。事前に戦争を抑止するほかありませんよね。つまり外国が日本に戦争を仕掛けてこないようにするということです。それには政府に外交で頑張ってもらわなければなりません。国際社会や仲の良い同盟国などの力を借りて戦争を抑止することも必要でしょう。しかし現実には国連には戦争を抑止する力はありません。なぜなら拒否権を持つ常任理事国5か国のうち、中国とロシアが力で国際秩序を破壊しようとしているからです。世界の警察官を自負してきたアメリカも、2914年9月にオバマ大統領が「世界の警察官の役は辞めた」と演説して以来、国際社会は混乱を極めようとしているのです。

自分の国は自分たちで守ることが世界の常識なのです。戦争を抑止する唯一の方法は、国民の国を守る強固な意志と軍事力なのです。下手に手を出したら痛い目にあうぞという状況を常に維持しておくことが、事前に戦争を抑止して平和を守ることなのだと分かってくれたと思います。

 

4、国を守るのは主権者の最大の使命

 国家の最大の使命は国民の命を守ることです。これは改めて説明する必要はありませんね。では国家の誰が他国の侵略から国民の命や国家の独立を守るのでしょうか。それは主権者の使命であり義務です。だって主権者というのはそういう意味なのですからね。

 日本は国民主権の立場をとっています。民主主義のメッカでもあるイギリスでは主権者は国民ではありません。国王です。エリザベス女王がイギリスの主権者であることは案外誰も知りません。

 さて、日本は私たち国民一人ひとりが主権者ですから、国民の最大の使命は国を守ることとなる。ですから例えばスイスでは国民みんながいざとなったら武器をとって戦う「国民皆兵」になっていますし、韓国はじめ多くの国が徴兵制を採用しています。

 日本は少数精鋭主義を採用しています。つまり自衛隊が我々国民を代表して、国防に当たってくれるというシステムです。自衛隊は主権者である国民を代表して戦ってくれる選手だと言えば分りやすい。ですから、自衛隊を応援し、より戦いやすいように、そして強くなるように支えていくことは、主権者としての最低限の義務だということです。

 

5、奴隷の平和か、真の平和か

 昨年の平和安全法制の国会審議の時、一部の野党や反対派の人たち、そして一部のマスコミなどが、「平和安全法制」は「戦争法案だ」とか「戦争するな」とか言って反対していましたね。しかし、中国の我が国の平和に対する脅威は無視されていました。

 今日は詳しいことを書く余裕がありませんが、尖閣諸島や東シナ海でのガス田開発のプラットホームの建設、南シナ海での国際法を無視しての岩礁埋め立てによる軍事基地建設など、日本の平和は、戦後最大の危機に直面しているのです。北朝鮮のミサイルもいつ飛んでくるかわかりませんし、「イスラム国」のテロの脅威にも直面しています。

 平和安全法制の反対運動を主導した政党などは、尖閣諸島などの領土問題は話し合いで解決を目指すと言ってますが、話し合いに応じるような相手でないことは子供でもわかる。また、中国の侵略という事態になったら「我慢すればいい」なんて言ってるようですが、みんなはどう思いますか。

 「戦争さえなければ平和」なのなら、簡単です。侵略されたときは「ごめんなさい」といって無抵抗で降参すればいい。戦争はない。しかしウイグル自治区の人々のような状態になってしまいます。日本という国はなくなって、西日本は中国の「東海省」、東日本は「倭人自治区」になって、たくさんの国民が殺され、文化は失われ、自由も与えられず、地獄の苦しみと屈辱に耐えていかなければならない。それでもいいというのなら「自衛の為の戦い」もやめてしまったらいいでしょう。

 それを「奴隷の平和」というのです。

 奴隷の平和でもいいという人はほとんどいないでしょう。ならば、日本国の主権者として日本の独立と国民の命を脅かすものがあったら、断固として戦うぞという意思を持たなければなりません。そして我々の代表選手である自衛隊に頑張ってもらえるように、応援していかなければなりません。

 平和安全法制というのは、まさにそれだったのです。

 

 


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