校長の道徳授業

有権者となる皆さんへ 3

2016.03.02

卒業生へのメッセージ~「日本の心」を取り戻そう!!

<はじめに>

今年の7月に予定されている参議院議員選挙から18歳以上に投票できる年齢が引き下げられます。およそ240万人の18歳と19歳の若者が有権者となります。

今回は、3月ですから卒業していく皆さんへの餞(はなむけ)兼ねて、有権者となって最も大切にしてほしい「国民の心構え」つまり「日本の心」についてお話をしたいと思います。もちろん、在校生の皆さんにもぜひ聞いて欲しいことばかりです。

 

<日本ミツバチの生態に学ぶ>

 最初に、ミツバチの興味深い話を紹介しましょう。今我が国には日本の固有種である「日本ミツバチ」と、明治時代に輸入された「西洋ミツバチ」の2種がいます。ミツバチの天敵は体がミツバチより何倍も大きく獰猛(どうもう)な「スズメバチ」です。スズメバチは、ミツバチの巣を見つけると、巣の前でホバリング(停止飛行)して巣に帰ってくるミツバチを襲います。スズメバチに襲われた西洋ミツバチの巣は、早ければ1日で全滅してしまいます。

西洋ミツバチは、毒針でスズメバチに対抗します。1匹1匹が単独プレーです。ミツバチの毒針は逆トゲが付いていて一度刺せば針が抜けて死んでしまいます。しかし、スズメバチの毒針には逆トゲがありませんから何度でも刺せますし、毒液を相手に吹きかけて殺すこともできます。その毒液は仲間を呼び寄せる働きも持っていて、大軍が押し寄せてきて、全滅させるのです。

 ところが、「日本ミツバチ」はスズメバチを見事に撃退します。日本ミツバチの体は西洋ミツバチより小さいけれどスズメバチに負けないのです。スズメバチが攻めてきたら、日本ミツバチはまず、集団で迎え、一斉に羽を左右に激しく振って敵に的を絞らせません。それでも攻めてくる敵には集団でスズメバチの身体に取り付き、蜂の球を作ります。蜂たちの体温で蜂の球の中心の温度が上がって、20分ほどでスズメバチは死んでしまいます。スズメバチは45度から47度が致死温度ですがミツバチは50度です。取りつかれたスズメバチは日本ミツバチの体温で死んでしまうのです。日本ミツバチはこうしてそれぞれが協力して命がけで巣を守るのです。チーム・プレーです。日本ミツバチは西洋ミツバチと比べて、体は小さく、攻撃性も弱く、毒性も少ないけれど、あの怖いスズメバチを撃退できる世界で唯一の「種」だったのです。人間社会に置き換えたら、西洋ミツバチは個人主義、日本ミツバチは共同体主義といってもいいでしょう。皆さんはどちらがいいと思いますか?

<日本の心は縄文(じょうもん)時代(じだい)に育まれた>

 話しは変わりますが、日本列島の歴史は、3万5千年ほど前に始まる旧石器時代から始まりました。旧石器時代の人々は、食料を求めての「遊動(ゆうどう)生活(せいかつ)」でした。1万7千年ほど前の時代になると、人々は「定住(ていじゅう)生活(せいかつ)」をするようになりました。「縄文時代」の幕開けです。狩猟(しゅりょう)と漁労(ぎょろう)と採集(さいしゅう)が主の生活です。この時代が1万数千年続きました。日本列島の縄文時代は世界で最も早く定住生活をはじめ、縄文土器を使って調理をし、世界でも最高の文化を持っていたことが、青森県の三(さん)内丸山(ないまるやま)遺跡(いせき)などによって証明されています。

 外国の文化が、自然を征服の対象としたのに対し、日本の縄文文化は自然と共存共生していたことが分かっています。人々は自らを自然の一部と認識し、豊富な海の幸、山の幸に感謝しつつ、暮らしてきたのです。

 そして、もう一つ大事なことは、豊かな自然に恵まれていたけれども、一方で、日本列島は急峻(きゅうしゅん)な山からすぐ海という地形であったことと、そして地震や台風や洪水など自然災害列島であったことも忘れてはなりません。人々が定住できる場所は限られていたので、小集落単位での生活だったこと、災害などから村を守るためにみんなが力を合わせてきたこと、そして、小さな集落での生活ですからみんなが仲良く生活できるよう大事なことは皆でトコトン話し合って決めてきたことなどが特徴でした。そういう縄文時代の1万数千年の長い時間が、日本人の精神構造と独特の文化を育んできたのです。

 それは「和の文化」でした。人々は自分の利益のために行動するのではなく、集落(共同体)全体の利益のために貢献する生き方をしてきました。そういう生き方こそが本当に幸せな生き方であることを知っていたのです。

日本は1万数千年前から「和の国」でした。それは私たちのDNAとしてしっかり組み込まれています。「和の国」の国民性は「自分のことは後回しにする精神」(竹田恒泰氏)、つまり「共同体」を大事にし、「利己心」ではなく「利他心」を尊ぶ国民性だということです。日本ミツバチまで同じとは驚きですね。

<世界で最も古い「民主主義」は日本にあった!!>

 その「和の文化」は、日本の歴史の中に随所に表れています。

 最初は、紀元前660年、2676年前のことです。第1代神武(じんむ)天皇(てんのう)が日本の国を建国された時のお言葉である「建国(けんこく)即位(そくい)の詔(みことのり)」(日本書紀)がそうです。国民のことを「元の元」と書いて「大(おお)御宝(みたから)」と読ませてあります。国の元(はじめ)は国民一人ひとりであり、国の宝であるという精神から日本の国が始まったのです。これを「国民本位の精神」と言います。『君は国の宝、勇志の誇り』という我が校の標語はこの精神によるものなのです。

 次は聖徳太子(しょうとくたいし)(574~622)の17条の憲法です。

 その第1条には「和をもって貴(たっとし)しとなす」とあります。つまり日本の国は「和の国」であることが宣言されています。さらに最後の第17条には「夫(そ)れ事は独(ひと)り定むべからず。必ず衆とともによろしく論ずべし」(大切なことは皆と仲良く話し合って決めなさい)とあり、日本の国は、6~7世紀には既に「民主主義」を原則としていたのです。この事実は、世界の奇跡といってもいいほどすごいことです。

 次は、明治天皇による五(ご)箇条(かじょう)の御誓文(ごせいもん)です。明治維新後の新しい国づくりの基本精神として明治天皇がお示しになったのですが、それには、その第1に、「広く会議を興し(おこし)、万機(ばんき)公論(こうろん)に決すべし」とあります。「広く人材を求めて議会を開設して、全てのことは話し合って決めなさい」と言う意味です。明治維新後の日本の国造りの根本が「議会制民主主義」だったということです。しかもそれが天皇陛下の示された方針であったという点に日本の民主主義の特徴があります。つまり、日本の「民主主義」は、西洋で発達した民主主義のように、皇帝や国王などの権力者を倒して獲得した民主主義とは違って天皇みずから採用された制度だったのです。それは、縄文時代に育まれ、歴代天皇によって確立されてきた「国民本位」の精神をもとにした「民主主義」なのです。

<まとめ>

 「戦後」の教育では、戦前の日本社会は軍国主義で暗黒の時代であって、戦後、アメリカによってはじめて民主主義が日本にもたらされ国民が解放されたと教えてきましたが、とんでもない間違いだったということが分かったと思います。日本の民主主義は世界で最も古く、しかも革命によって確立したのでもなく、歴代の天皇によって育てられてきた最も理想的なすぐれた文化だったのです。

 そして、日本ミツバチの不思議な生態でも学んだように、日本の民主主義の根本精神は「個人主義」ではなく「共同体と共に生きる精神」、つまり「和の心」だということも学びました。

 有権者となる皆さんは、選挙を通して日本の国造りに参加することになります。どの候補者に投票するか、どの政党を選ぶか、自らの判断で決めなければなりません。その判断の基準は、日本という国を愛しているか否か、そしてこの素晴らしい国日本を他国の侵略から守ってくれるか否かだと思います。なぜなら、政治の最大の仕事は、国家の独立と国民の命を他国の侵略から守ることだからです。

西洋ミツバチのように個人主義で国を滅ぼすか、日本ミツバチのように共同体主義を取り戻して「天敵」から巣ならぬ祖国日本を守るか、選ぶのは君たち一人ひとりです。

 

 


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