「一源三流」の教え

2017年10月15日

私の高校、県警時代の同期生で無二の親友でもある上村博孝氏のことを紹介しましょう。彼は剣道の達人で居合道は師範の腕前でもあります。時代劇に例えるなら腕の立つ「剣客」ですね。

 この上村氏からいい話を聞きました。そして彼はこの話を、今からの時代を担う若い生徒たちに伝えてほしいと言ってくれました。今月はその話をしたいと思います。

 

静岡県県立三島南高等学校の剣道場「源流館」に、「一源三流」と書かれた額が掲げられているそうです。誰が、いつ、どこで説かれた言葉か定かではないそうですが、上村氏の調査では、山岡鉄舟先生の言葉だということでした。

以下は、上村博孝氏の文章です。

 

「一つの源(真の心)から三つの流れがある。幕末の剣豪・無刀流の創始者「山岡鉄舟」の訓(おしえ)ともいわれている。

一つ、国のために血を流す(愛国)~国防は国民の第一の義務、国無くして何が憲法か!

二つ、家のために汗を流す(勤労)~一家の繁栄のためには、家の主人が全身から汗を流し働く!

三つ、友のために涙を流す(情け)~「友の悲しみに我は哭(な)き、われの悦びに友は舞う」共存共栄の人格を持った人間の姿!

今こそ、歴史に習い日本古来の凛(りん)とした精神「武士道」と「和の心」を取り戻す時ではないか。」(熊本県警退職者の警友会会報「ひのくに」から)

 

このポプラ通信で、29年2月号、3月号、5月号、6月号と日本の古来からの精神文化としての「和の心」について、そして7月号「与える生き方と貰う生き方」、8月号「情けは人の為ならず」、9月号「昔の日本人の愛と勇気はどこへ行った?」と書いてきましたが、これはまさに「武士道と和の心」についてであったし、今からの新しい時代を築いていく若い皆さんへの、72歳となった老校長からのメッセージでした。

これ等の2月号からの一連の記事をまとめたいなと思っていた時に、上村博孝氏の文章との出会いがあったのでした。この短文に7か月分が見事にまとめられていることに感動し、紹介した次第です。

9月号で書いたとおり、明治23年(1890年)のトルコの軍艦エルトゥールル号沈没事故の際に示した当時の日本人の尊いふるまいを紹介する中で、

「昔の日本人は、貧しかったけれども、助けを求めている人がいたら命がけで助ける勇気を持っていたこと、そして、困っている人がいたら自分のことは犠牲にしても手を差し伸べる大きな愛を持っていた」

と書きました。

そして、その95年後のイラン・イラク戦争の際のイラン在住の日本人の救出に憲法9条の制約で自衛隊機を派遣できず、民間機は「自衛隊もいけないような危険なところにはいけない」と駄々をこねているうちにタイムリミットが近づき、そこにトルコの民間機2機が飛来し、自国民に優先して日本人全員を救出してくれたこと、そしてそれは95年前のエルトゥールル号の恩返しだったことを学びました。

昔の日本人のまさに「凛(りん)」とした精神と、現代日本のこのふがいない現実とのギャップが憲法9条から生まれているのではないかと問題提起をしました。それはイラン・イラク戦争時に多くの日本人の共通した感想でもあったのです。国民の命も救うことができないで何で平和憲法か、とね。

それがいつの間にか忘れられてしまっています。

 

さて、「一源三流」に話を戻しましょう。

「山岡鉄舟」とはどんな人物だったのでしょうか。鉄舟の日本の歴史上で果たした最大の功績は、やはり幕末の官軍による江戸総攻撃を事前に治め「江戸無血開城」を成し遂げたことでしょう。

官軍の総大将は西郷隆盛。一方、山岡鉄舟は徳川幕府の家来。上司であった勝海舟の命を受け単身敵地に乗り込み、西郷と差しで話し合いをします。まさに命がけです。その気迫と正義感に感じ入った西郷は鉄舟の主張を認め、江戸総攻撃は中止され、当時世界一の大都市だった江戸の町と百万を超える江戸の人々は戦火から免れることができたのです。

この時の鉄舟の心意気を後に西郷は次のように評したといわれています。

「命もいらず名もいらず、冠位も金もいらぬ人は御(ぎょ)し難きなり。然(しか)れどもこの御し難きにあらざれば艱難(かんなん)を共にして国家の大業(たいぎょう)を図るべからず」(「西郷南洲遺訓」より)

「命も、名誉欲も、出世欲も、また物欲もすべてを捨てた無欲の人物でなければ、国のための大きな仕事はできない」という意味です。

誰でも命は惜しい。お金もなくては生きていけない。出世もしたいし、名誉も欲しいですよ。それが当たり前。決して悪いことじゃない。しかし、です。日本を救うような大きな仕事は、その心境ではできないぞ、という意味なのです。

敵陣に単身乗り込んで総大将の西郷隆盛と直談判して、一歩もひかず江戸総攻撃の計画を直前で中止させたその迫力は、山岡鉄舟の「無私無欲」の姿勢と、なんとしても江戸の町を救わなければならないという「使命感」があったからできたし、西郷もその心意気に感じたからこそ、鉄舟の申し出を受け入れたのです。

西郷南洲遺訓には「男子は人を容れるべく、人に容れられては済まざるなり」という一節もありますが、西郷さんの人間としての器の大きさがうかがい知れる言葉ですね。西郷さんのこの大きな心の器があったからできたことです。

さらには、西郷の心の姿勢もまた、鉄舟に負けない「無私無欲」だったからこそ、両者の「無」と「無」が共鳴して、歴史の奇跡を起こしたのでしょうね。

もし、この二人の英雄が相まみえていなかったならば、今の東京の繁栄はもちろんなく、日本の首都の混乱に乗じた欧米列強の侵略を招いて、他のアジア諸国のように植民地となって、世界は今も支配者と被支配者に2分され続けていたでしょうね。

西郷隆盛と山岡鉄舟。この両者に共通した「無私無欲」と、この祖国日本を思い救おうとする高い「志」の出会いがなかったならば、世界の近現代史は全く違ったものになっていたことは間違いありません。

私は、30歳の時警察官を辞職し、元号法制化運動に没頭し、33歳の時に熊本市議会議員になり、37歳で熊本県議会議員になり、3期目の途中で国会議員を目指し失敗。その後いろいろと政治活動にすべてをかけてきて、熊本理事長との出会いがあって、今、こうして勇志国際高校があり、その校長としての尊い仕事をさせていただいていますが、その波乱万丈の人生にあって、いつもこの「西郷南洲遺訓」を座右の銘にしてきました。

 

「一源三流」

源は「無私無欲」と「高い志」。それは「誠の心」。

それを源として

  一つ  国のために血を流す。

  二つ  家のために汗を流す。

  三つ  友のために涙を流す。

という三つの流れが生じる。

 

戦後といわれる時代が終わりを告げ、どうやら新しい時代の幕が上がろうとしているようです。その新しい時代の主役は紛れもなく君たち若者です。

 

新しい主役たちよ。この一源三流を「新時代」の精神として掲げよ。

これこそ、歴史の扉を拓く巨大なエネルギーとなるであろう。

 

 

 

校長の道徳授業 | 投稿日: 2017年10月15日 | 投稿者: 編集

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